鎌倉市市有財産評価審査会に出席しました

平成22年度最後の市有財産評価審査会に出席しました。

今回の諮問件数は9件でした。また、現地視察は大町釈迦堂口遺跡に行きました。

大町釈迦堂口遺跡を市が購入する議案が2月議会で市長から提出されるとのことでした。

市の文化財課担当者によれば、取得後は調査を行い整備した後に市民に公開する方針だそうです。

SBCA0153 

SBCA0156 ←やぐら

大町釈迦堂口遺跡については下記の記事をご参照ください。

以下、引用開始

鎌倉の「大町釈迦堂口遺跡」が2010年度にも国の史跡に指定へ、未知の廃寺跡の可能性

2010年2月26日 神奈川新聞/カナロコ
数々のやぐらや切通(きりどおし)が残る鎌倉市の「大町釈迦堂口(しゃかどうぐち)遺跡」が、早ければ2010年度にも国の史跡に指定される見通しとなった。鎌倉幕府初代執権・北条時政(1138~1215)邸跡との説もあったが、発掘調査の過程で年代の違いが発覚し、未知の廃寺跡の可能性が浮上した。指定後の用地取得のため、市は10年度の予算案に約6億2千万円を計上した。

 約1万5千平方メートルに及ぶ同遺跡からは、国の重要文化財にも指定されている「青磁の鉢」などが出土している。

 敷地内にはトンネル状に山肌をくりぬいた釈迦堂口切通もある。

 周辺の山腹には中世鎌倉特有の横穴式墳墓「やぐら」も良好な状態で数多く残されている。源頼朝暗殺をたくらんだ木曾義仲の家来の娘「唐糸(からいと)」を幽閉したとされる「唐糸やぐら」はその代表例だ。

 地元では1940年ごろから、時政の邸宅跡との見方が有力視されてきたが、私有地だったため、大規模な調査は行われていなかった。

 ところが、07年になって遺跡用地が不動産開発業者に売却され、宅地造成の計画が浮上。市民から保護を求める声が上がり、市は08年7~12月、国と県の補助を受けて発掘調査へと踏み切った。

 出土したつぼやかわらけなどの遺物調査から、遺跡の土地造成の年代が13世紀後半と判明した。13世紀前半に没している時政とは明らかに食い違う結果となった。また、新たなやぐらが29基も確認され、確認済みのものと合わせ、計64基の一大やぐら群であることも分かった。

 このほか、火葬が行われた痕跡も発見。やぐらの存在と合わせて宗教的な施設の可能性が高い上、一般住居にはない柱の礎石や「青磁の鉢」など高価な出土品から、それなりの格式を持つ施設と考えられるという。

 市教育委員会文化財課は「今のところ文献と合致する例はないが、未発見の廃寺跡の可能性も考えられる。やぐらと平場の遺構が一体で残され、希少かつ貴重な事例。遺跡は15世紀にかけて段階的に造成されており、中世の土地造成の過程が明らかになる点でも価値が高い」と指摘している。

 市はことし1月、文化庁に史跡指定を意見具申しており、国の文化審議会で認められれば、夏ごろにも史跡指定される。遺跡用地は、史跡指定後に取得するという。

大町釈迦堂口遺跡の保全の経緯など説明、史跡指定を記念し講演会/鎌倉

2010年9月22日 神奈川新聞/カナロコ
鎌倉市の大町釈迦堂口遺跡が国の史跡に指定されたことを記念した講演会が22日、鎌倉市小町の鎌倉生涯学習センターで開かれた。「国宝史蹟(しせき)研究会」の八幡義信会長が講師を務め、同遺跡の保全運動の経過をはじめ、遺跡そのものの歴史や価値などを説明した。

 同研究会は、鎌倉をはじめ全国の国宝や史跡などの研究に当たる市民らの団体。IT(情報技術)を活用して鎌倉の地域振興活動にあたる市民団体「ICP地域振興協会」との連携事業として、講演会を企画した。

 講演は「守られた鎌倉の中世遺跡」と題して行われた。同遺跡では2007年に宅地開発計画が浮上。市民から保全を求める声が上がった経緯がある。

 八幡会長も保全運動に尽力した1人で、講演活動などを通じて遺跡の重要性を紹介してきた。この日の講演会では、そのような経緯を指摘しながら「史跡指定にはあきらめずにがんばった地元の方々の熱意があった」と振り返った。

 同遺跡は名越ケ谷と呼ばれる谷戸の一画にあり、面積は約1万5千平方メートル。造成された平場には建物跡があり、取り囲む丘陵部では横穴式墳墓「やぐら」が64基確認されている。鎌倉幕府初代執権・北条時政邸跡との説もあったが、発掘調査の結果、年代の違いが明らかになった。未知の廃寺跡の可能性もあるとされている。

以上、引用終わり