岩手県大槌町に救援物資を届けました 3月29日

私、岡田かずのり鎌倉市議、早稲田ゆき前鎌倉市議とともに、救援物資を届けるために自ら物品購入を行い、必要経費を捻出するとともに、市民の方々からの善意のつまったカンパや物資提供を受け、レンタカーを借りて運転し岩手県大槌町へ救援物資を届けに行きました。

岩手県大槌町を選んだ理由は、町役場が津波に飲み込まれ社会福祉協議会も機能を喪失している中で、行政不在の状況が報道されており救援物資の受入状況も厳しいのではないかと判断し何かできることはないかと考えたためです。また、地震で起こる津波の威力は報道等で拝見しておりましたが、海に面した鎌倉市の議員としてこの目で見る必要があると思い行動に至りました。

 以下、時系列に沿って報告させていただきます。

1、準備期間

鎌倉市議会は3月24日(木)まで行われていました。議会開催中、先輩である岡田議員や市民の方と東北関東大震災について色々と話し合い、「何かできることはないか。」と考えていました。町長、町議1名、課長7名の幹部を含めた町職員三十数人が行方不明となっている大槌町は行政不在となり支援が遅れているのではないかと考えていました。

様々なニュースを聞き、また近隣である岩泉町社会福祉協議会に連絡し、大槌町の情報を集めました。食料が一日一食であることや電気・水道・ガスが普及していないため飲み物にも困っていることなどが確認でき、水や物資を届けることにしました。

3月24日(木)に東京都葛飾区の金町浄水場から放射性物質検出され、乳幼児に対する水道水の飲用を控えるように発表されたとの報道があり、スーパーから水が消えたときでした。

・3月26日(土)

岡田議員と相談し「西に向かえば放射能の影響も相対的に低くなるため、水もあるのではないか。」という推測のもと、3月26日(土)9時に集合し水を求めて車で西へ向かい、まずは湯河原のスーパーへ行きました。そこで、20ℓのポリタンク10個、500mlペットボトル24本セット2箱、トイレットペーパー、紙おむつ、生理用品、サランラップなどを購入しましたが、2ℓ水ペットボトルは品切れでした。また、南足柄市に住む岡田議員の知人Aには、湯河原以西方面へ、箱根に住む私の知人Bには三島方面に行ってもらい2ℓ水ペットボトルを探してもらうこととしました。

引き続き、私と岡田議員は富士山の湧水で有名な山梨県の忍野八海にいけば水があると推測し現地へ向かうこととし、途中、スーパーやホームセンターに数十件立ち寄り、2ℓペットボトルを探し求めましたが中々見つけることができませんが、やっとのことで御殿場にあるリサイクルショップで2ℓ水ペットボトル(6本入り1ケース)を見つけ3ケース購入することができました。

忍野八海に到着後、水会社を訪問し小売りをしてくれるよう依頼しましたが断れましたが、小売りをしてくれる別の会社を見つけ1ℓ水ペットボトル15本一箱を購入することができました。

更に忍野八海で聞き取り調査を行い、富士吉田市にある不動湯に「霊水不動尊の水」という水汲み場があるということを聞き、現地へ向かい20ℓポリタンク×10個分の水を得ることができました(http://www.navi-city.com/iine/fudo-yu.html)。

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併せて、富士吉田市の八百屋で不足していると聞いていた根菜類である「玉ねぎ」「じゃがいも」「さつまいも」を二箱ずつ購入しました。

その後、B氏は三島方面で水を見つけることができませんでしたが、A氏は2ℓ水ペットボトル(6本入り1ケース)を3ケース確保し、また、2ℓお茶ペットボトル(6本入り1ケース)を1ケースと一緒に物品提供してくれました。

 以上のように私と岡田議員は水探しで1日を費やしましたが、それと並行し岡田議員のご婦人、ご婦人の友人の方々とある市民の方C氏は、寒さ対策としてホッカイロを担当していただき、市内外を探し努力して下さいました。

 同時に、当日の足としてトラックのレンタルを探しましたが、中々見つけることができませんでしたが、オリックスレンタカーから2トントラック(マニュアル、ナビ・幌なし)を見つけることができ予約しました。

・3月27日(日)

 この日は午前中に家族と過ごした後、午後から同僚市議会議員のご主人の告別式、和田猛美元市議の叙勲パーティーに出席したのち、引き続き準備に取り掛かりました。

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この日は事前の調査、必要な物資の洗い出しを行いました。並行して早稲田ゆき前鎌倉市議とご主人にカセットコンロ、カセットボンベ、レトルトのご飯、缶詰めなどを購入してもらいました。また、燃料不足という報道を見ていたため帰りの燃料が心配事の一つでしたが、ある市民の方D氏から軽油100リットルの提供を受けました。その方からはカンパの提供を受け、またゴムつきシート、ロープをお借りすることができました。そして、物品は一旦、私の事務所へ集め、私、岡田議員、C氏、早稲田前市議及びご主人で水ポリタンクと軽油以外は全て段ボールに詰め、そして物品をリスト化しました。

2、出発

・3月28日(月)

午前中は鎌倉ガーディアンズの一員として、尚武館の鎌倉ガーディアンズのメンバーとともに鎌倉市の市民から提供のあった物資の仕分け作業を行い、岡田議員は情報収集を行い大槌町災害本部と連絡を取ってもらいました。

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岡田議員の情報収集の主な結果は次の通り。

①数日前に自衛隊が入り支援が行われていること。

②水、食料は十分にあるが、野菜が不足していること。特に葉菜類。

③災害対策本部は中央公民館に置かれていること。

私は午後、岡田議員の知人で市民の方E氏から玉ねぎ、じゃがいも、さつまいもを二箱ずつ提供を受け取った後、夜の運転に備え休憩しました。岡田議員は山芋、長ネギ、大根を購入してくれていました。また、D氏からトマト、カブ、ほうれん草、サニーレタスの提供を受けました。

私は、夕方17時半に藤沢のオリックスレンタカーにトラックを借りに行き、事務所に戻った後、岡田議員、早稲田ゆき前鎌倉市議とご主人、市民C氏と共にトラックに積み込みを行い、午後9時に現地に向かい出発しました。

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(写真)出発前の写真

3、往路

・3月28日(月)

 大槌町へのルートは、横浜新道→首都高→東北自動車道(北上江釣子インターまで)→国道107号→国道340号→県道26号(大槌小国線)→大槌町という予定でした。このルートは北側から大槌町へ入るルートです。釜石経由のルートは水海海岸付近の国道45号線が不通になっているとの情報を岡田議員が得ていたため、通行が難しいと考えていたためです。しかし、同時に岡田議員が、釜石市からのルートは不通箇所があるが、報道で最近新たにバイパスが開通しているとの情報も得ており釜石市からも行ける可能性があると考えていました。

 私がドライバー、同乗者の岡田議員、早稲田前議員はナビを担当し出発しました。マニュアルの2トントラックを運転できるのが私しかいないため困難が予想されましたが、被災されている方々のことを思えばこれ位という気持ちで懸命にハンドルを握りました。

・3月29日(火)

北上江釣子インターには朝6時頃到着し、路肩で仮眠を取った後に国道107号線・国道283号線で遠野方面へ、国道340号線で左折し立丸峠を越える予定でした。しかし、国道340号線は山に近付くにつれ路上に雪が目立つようになり、恩徳川付近でタイヤがスリップしトラックが進めなくなりました。チェーンはレンタルがなく、また鎌倉近辺ではトラック用のチェーンが売り切れており購入することができなかったため、やむを得ず国道283号線まで引き返し、283号線で釜石まで出ることとしました。

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(写真)途中、トイレ休憩に立ち寄った「道の駅 遠野風の丘」のスパイラルマグナス風車

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釜石市鈴子町より前は今回の地震による被害は余り感じられませんでしたが、鈴子町からは状況が一変しました。倒壊した建物、道路両脇に積み上げられた瓦礫、木に引っかかっている車など、津波被害の甚大さを目の当たりにしました。また、ラグビー史上最高のスタンドオフであると言われている松尾雄治氏が所属した新日鐵釜石は鈴子町にありました。道路から見える新日鐵釜石の工場も被害状況も津波の威力を知ることができました。釜石市で国道45号を左折し大槌町へ向かいました。

4、現地

釜石市鈴子町の津波被害同様、大槌町の被害状況も凄惨なものでした。マンション管理をしていた時に東陽町に住む方から、昭和20年に東陽町から川崎大師の鳥居が見えたほど都内が焼け野原になっていたという話を思い出しました。家という家が押し流され破壊され、道路の両脇には瓦礫が溢れ、その瓦礫も津波火災のためか鉄がひん曲がっていました。

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(写真)釜石市鈴子町で車中から撮影

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(写真)釜石市鈴子町で車中から撮影

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(写真)釜石市鈴子町で車中から撮影

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(写真)釜石市鈴子町で車中から撮影

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(写真)釜石市鈴子町で車中から撮影

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(写真)釜石市松原町で車中から撮影

岡田議員が大槌町災害対策本部と連絡を取り、救援物資は大槌ふれあい運動公園野球場に自衛隊が救援物資を管理しているので現地の自衛隊と相談し対応するようにして欲しいと言われたので野球場に向かいました。野球場は小鎚川沿いの大槌街道を上って行きますが、小鎚川の家々も川をさかのぼった津波の被害を受けていました。

野球場に着き自衛隊員に大槌町災害本部からの話を伝えたところ、食品類と生活品類に分けて二つの大型テントに運び入れるよう依頼され、また、搬入できるのは自衛隊の大型車(10トン位)6台の後に運び入れるよう言われました。そして、大槌町の職員の方がいらっしゃったので、物品リストを見てもらい受領のサインをいただきました。

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(写真)野球場に設営された大型テント、左が食品類、右が生活品類

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(写真)野球場の外側、左にあるのが自衛隊員のテント、中央がテニスコート、最初はこのテニスコートに救援物資を保管していましたが、雪や雨が降るため大型テントを設営し荷を移しているそうです。

野球場に着いたのは14時位でした。時間があったため野球場周辺を見て回りました。自衛隊のテント、テニスコートに山と積まれた物資、フリーマーケットのように物資が並べられ住民が手に取り物資を受け取る様子、自衛隊が設営したお風呂を見て回りました。自衛隊の方々の献身的な姿には本当に頭が下がりました。そして物資を受け取る方々は笑顔に溢れていました。自衛隊が整理していた物資の量は膨大で我々が提供しようとしている物資は微々たるものでした。

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(写真)救援物資を自衛隊が被災者の方々に渡す場所

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(写真)第7機甲師団入浴所

 その後、私は長距離運転の疲労が蓄積していたため野球場観客席で用意していた寝袋で30分ほど午睡をしました。その間、岡田議員は野球場に居合わせた住民の方お二人と歓談し近隣にあった避難場所となっている勤労青少年体育センターを見学していたそうです。その二人によると我々が提供する物資の内、①ホッカイロ、②カセットコンロとカセットボンベ、③野菜の3つは大変重宝するとのことでした。そのお二人も近隣からボランティアに駆けつけた方々で被災後3日間は本当にきつく、その後も大変な状況が継続していたそうですが、自衛隊が来てからは物資も支援物資も豊富になり始めボランティア活動も落ち着いたとのことでした。勤労青少年体育センターも右側中央に大型ストーブがあり温かくなっているが、夜は床からの冷気でしんしんと冷えるのでホッカイロは本当に重宝だと言われていました。ホッカイロを集めて下さった岡田議員のご夫人や協力して下さった方々に本当に頭が下がる思いでした。

早稲田前市議の「荷物の番が来たわよ。」の声に起こされ、いよいよ鎌倉市民の善意のつまった品々を大型テントに運び入れることになりました。まずは食品類のテントにトラックを横付けし物資を搬入しました。とにかく全国から運ばれた量には圧倒されました。しかし、野菜類は足が早いためか送られておらず見当たりませんでした。新鮮なほうれん草、サニーレタス、トマト、長ネギなど大槌町の方々に喜んで貰えると感じました。

食品類を搬入し終えた後、生活品類のテントに車を横付けし荷を下ろしました。水は十分確保されているようでしたので持ち帰った方がいいか大槌町職員の方に確認したところ名水ということもあるので、ポリタンクは勤労青少年センターに運ぶため是非置いていって欲しいとのことでしたので提供することにしました。また、我々3人のために用意していた食料も被災されたところ以外では道中で食べ物に困ることもないことがわかったため職員の方に確認した上で提供しました。

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(写真)大型テント前で生活品類を下ろす岡田議員

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(写真)大型テント前で生活品類を下ろした直後に撮影

また、トラックには空のポリタンク2つと軽油20リットルが入ったポリタンクが5つあり、必要か確認したところ空のポリタンクは必要であるが、軽油は自衛隊からドラム缶で補給があるので不要とのことでした。ただ、提供できるのであれば中央公民館にある災害本部に確認して欲しいと言われました(後ほど記載しますが、中央公民館では大槌町役場職員、岩手県庁職員、マスコミの方々が忙しく働かれており、軽油について話を切り出すタイミングを逸してしまいましたが・・・。)。

野球場で物資を下ろしてから大槌町災害本部のある中央公民館に向かいました。

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(写真)大槌町 中央公民館、災害対策本部が置かれています

中央公民館は大槌小学校の隣にありますが、平地にある大槌小学校と異なり丘の上にあったため津波の被害を免れ多くの被災者の方々が詰めかけていました。大槌町副町長にもご挨拶をした上で担当者の方にも色々と状況をお聞きしたいと思っていました。しかし、ちょうど16時30分から始まった記者会見中であり副町長もお忙しいようでしたのでご挨拶は遠慮し、災害対策本部の救援物資担当の方にリストを渡し野球場にある自衛隊の大型テントに搬入した旨を報告しました。他の職員、ボランティアの方々も大変お忙しいようでしたので、色々とお聞きしたいことはありましたが、早々に中央公民館を後にしました。中央公民館のある高台から大槌町の現状を撮影しましたのでご参照下さい。斜面緑地のすぐそばまで火が迫っていたことが伺えます。圧倒的な津波の前に大槌町は焼け野原のような光景になっていました。自然の怖さを目の当たりにし正直なところ戸惑いました。

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(写真)中央公民館の高台から東南方向を撮影、斜面緑地まで津波火災により延焼したため木が焦げている様子が伺えます

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(写真)中央公民館の高台から東方向を撮影、斜面緑地まで津波火災により延焼したため木が焦げている様子が伺えます

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(写真)中央公民館の高台から東方向を撮影、白い建物が大槌小学校

多くの方が行方不明であり本当に津波の怖さを思い知らされました。釜石市では最新鋭の防波堤があったのですが、10メートルを超す津波の前には無力ということが日本経済新聞に記載されています。

以下、引用開始

最新の防波堤及ばず 津波避難場所見直しも  岩手県「油断あったかも」2011/3/22付日本経済新聞 

http://www.nikkei.com/news/headline/archive/related-article/g=96958A9693819695E3EBE2E0948DE0E3E2E1E0E2E3E39180EAE2E2E2;bm=96958A9C93819695E0EBE2E29B8DE0EBE2E1E0E2E3E39191E3E2E2E2

東日本大震災で、多数の住民の命を奪った巨大津波。最新鋭の防波堤や防潮堤でも被害を防ぎきれなかったことに、現地の防災担当者らが衝撃を受けている。複合災害への備えの難しさが改めて浮き彫りになり、被災地以外の自治体も避難場所の見直しなどを検討し始めた。  同県釜石市では2年前、三陸沖を震源とするマグニチュード(M)8.5クラスの地震を想定し、釜石港の海上に高さ約6メートル、全長約1.6キロの防波堤が完成。総工費は約1200億円。耐震設計を取り入れるなど最新の設備だったが、高さ10メートル超ともいわれる津波はやすやすと乗り越えた。

 昨年2月、M8.8を観測したチリの大地震では、釜石市を含む同県沿岸部の約3万6千世帯に避難指示や勧告が出たが、約2割は自宅にとどまった。県の調査では、避難しなかった理由として設備の安全性を挙げた住民が多かった。

 「ハード面だけでは万全ではない。行政や住民が正しい知識と心構えを持ってこそ意味がある」。行方不明者の安否確認や避難所のケアなどに追われる中、釜石市の担当者は痛感している。

 想定を超えた今回の被害は、全国の防災担当者にも衝撃を与えた。

 東海、東南海、南海地震が連動して同時発生した場合、5、6メートルの津波に見舞われると想定される三重県志摩市。高さ約8メートルの避難用鉄骨タワー(40~50人収容可能)を建設済みだが、標高1~2メートル程度の広場が一時的な避難場所に指定されている地域もあり、今後見直しを進める方針だ。

 “防災先進県”の静岡県も「原則として3階建て以上のビルなどを避難所に指定しているが、総点検する必要がある」(危機管理局)。東海地震の発生時、最大約10メートルの津波が到達すると想定。岩田孝仁・危機報道監は「すべての自治体で原則年3回、津波を想定した避難訓練を行うなどしているが、県民に『慣れ』が生じている恐れがある。もう一度警鐘を鳴らしたい」と話す。

以上、引用終わり 

5、復路

 中央公民館を17時半頃出発しました。大槌町、釜石市の現状を目の当たりし3人は大変ショックを受けました。そんな状態で車内は重い空気に包まれました。復路は往路を戻ることになります。途中、国道283号線は大渋滞でした。北上インター付近には19時過ぎに到着し食事の後にスーパー銭湯に入り車内で仮眠を取ったのちに東北道に乗りました。しかし、片道約700㎞を一人で運転してきた疲労は福島県に入った時点でピークを迎え、記憶は定かではありませんが、国見サービスエリアでグロッキーとなりトラックの荷台で寝袋に入り長時間の休憩を取りました。待ってくれていた岡田議員、早稲田前鎌倉市議には申し訳ないと思いつつ体がいうことを聞かない状況では如何ともし難いということで長時間睡眠を取りました。起きたときは3月30日の10時半になっていました(寝た時間すら朦朧としてはっきり覚えていませんが、4~5時間は眠ってしまったと思います)。私は14時から深沢地域の方々と深沢の市議団との集まりがあったのですが間に合うことは不可能とわかり幹事をして下さっていた議員の方に連絡を入れました。

 十分に休んだこともあり17時30分に大船駅に到着しました。そこで早稲田前鎌倉市議は降りてもらい、岡田議員と私でトラックからの荷下ろし、軽油の入っていたポリタンクの返却をしました。18時30分には藤沢駅のオリックスレンタカーにトラックを返却しました。

6、感想

事務所に帰ってから事務所から事務所まで運転した距離を確認したところ、1460.5㎞になっていました。これだけ長距離を一人で運転したことは初めての経験であり大変疲れましたが、被災された方々、お亡くなりになった方々の大変さを思えば問題ではありません。

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(写真)事務所到着時の走行距離

今後も被災された方々のために何ができるのかということを考え、できる限りのことをしていきたいと思っております。と同時に鎌倉市が津波に襲われた場合に当然、今東北地方で起きた津波の惨状が、鎌倉市で起きる可能性があることが予想されますので、その対策をどうしていくのか考えていきたいと思います。防災先進県の静岡県や三重県志摩市の先進的な取組を参考にしつつ、そこに今回の震災により進化する防災計画を勉強し鎌倉市の防災計画の見直しを自分なりに考えていきたいと思います。

東北関東大震災の被災者の方々に改めてお見舞い申し上げるとともに、お亡くなりになった方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

また、今回の救援物資を大槌町にお届けするに当たり、ご協力下さった方々に心から感謝申し上げます。